デスノートミュージカルの感想(ネタバレしかしていないので注意)

デスノートMUSICALを3回見たので感想を書くよ。以下最初からネタばれしかしてないので注意。

(柿澤ライトを3回見た&鹿賀丈史が好き&歌詞を全然思い出せない人の感想です。)

 

 

この舞台で違和感を持った場面が二つあった。

一つ目はラストのリンゴ。

二つ目もラストでレクイエムを歌わない人物。

 

~リンゴ~

舞台上でリュークはリンゴをかじり、時々吐き出す。

リンゴをネットで検索すると「アダムとイブのリンゴ、禁断の果実、知恵の実、原罪、不法、不道徳、有害な快楽や耽溺、アイザックニュートンアップルコンピューター、アランチューリングのリンゴ自殺、白雪姫のリンゴ」等々キーワードが出てくる。

 

ラストのリンゴ。

リュークが、死んだライトの胸の内ポケットからリンゴを取り出す。それまで、ライトがリンゴを持ち歩いている描写はないし、リンゴを渡す描写もない。あまりにも、不自然すぎる。

 

胸から真赤なリンゴを取り出す、真赤な心臓のようなリンゴ、つまり命を奪う。

 

リュークはリンゴが好物。罪の果実、原罪、不道徳、有害な快楽、耽溺・・・・。自分の虚無感を埋めるための唯一の楽しみが、人間が罪を犯すのを見ること。罪を増幅させるために、禁断の果実である「デスノート」を人間に与える。

ノートに書くだけで人を殺せる恐ろしい力を手に入れたライトは、「新世界の神になる」という呪いにかかる。ライトの胸のリンゴは熟れに熟れ、犯罪者だけではなく、罪を犯していないFBI、警察をも殺してしまう。

リュークはリンゴが真赤に熟れて腐る前に、もいで食べた。けれども、口に含だリンゴを吐き出しながら「お前も普通の人間だったな」「何の意味もない。意味がないことが一番つまらない。」と冷たく言い放つ。死体を蹴る。

 

ここまで書いて気がついたけれども、リュークの視点は私たち、一般の大衆と同じなのではないか。他人の不幸をセンセーショナルに報道するマスコミ、犯人の個人情報、家族の情報をネットに晒して正義感振る人、みんな楽しんでいる。他人の不幸を。

そしてすぐ飽きて次のセンセーショナルな事件を消費する。去年起きた事件はみんな忘れている。くだらない、つまらない、最悪、恐ろしいと言いながら求めている。

自分より不幸な他人を。

 

そこにあるのは虚無感。退屈な日常。

神のいない、絶対的価値観のない世界。

ライトは悪人を殺し「新世界の神」となることで新しい価値観を構築しようと画策する。

ライトの使っているパソコンはアップル。

インターネットでキラの評価をいつもチェックする。若者たちはキラに熱狂し、スマートフォーンで情報を追う。ツイッターで情報交換。つまらない日々をつぶすには面白いネタ。

美砂はライトに愛を与えることで、レムは美砂に愛を与えることで、自分の虚無感を埋めている。愛に依存する人間。

 

リューク以外に舞台上で赤い実を食べる人物がいる。

Lである。Lはさくらんぼ?のような小さな赤い実をぱくぱく食べる。

悪を見つけて捉える事が唯一の楽しみだ。

キラの犯罪捜査に加わってからは、捕まえることに夢中になるが、途中からキラの存在そのものに、自分の存在意義を見出してしまう。表裏一体のキラがこれ以上暴走すると、Lも暴走してしまう。そのため、最後はライトを殺しに行くのだろう。自分の暴走を止めるために。

 

 

~ラストでレクイエムを歌わない人物~

ラスト、死神以外の出演者が全員舞台上に現れて、ライトとLの亡骸を囲みレクイエムを歌う。

ただし、ここで舞台上にいるにも関わらず、レクイエムを歌っていない人物が二人いる。

美砂と夜神総一郎である。

なぜ歌っていないのか?

死者へのレクイエムが歌えないということは、つまり彼らも死んでいるからであろう。

 

美砂は自分の寿命をも削って愛を捧げていたライトが死んで、自分の唯一の存在意義を失ってしまった。死んだも同然。

手のひらに大切そうに抱えた砂(レム)をサラサラと舞台の下へ落とすのは、レムの愛を覚えているからであろうか。

 

総一郎は、横たわるライトの横に立ち、冷たい表情で亡骸を見つめる。

ライトの妹、海砂が膝をついて悲しんでいる姿とは対照的だ。

父総一郎はライトを心から信頼し、溺愛していた。

ライトも父を尊敬し、父の背中を追いかけて、さらには父を超えようとした。

一幕でライトと一緒に歌う総一郎はとてもうれしそうで、誇らしげだった。

しかし、二幕の総一郎のソロ。息子がキラかもしれない、けれども息子は人を殺す人間であるはずはないと葛藤する。この時点ですでにライトがキラであるということをほぼ確信している。息子が犯人であることは間違いないとは思いつつも、犯人であって欲しくないという強い願い、祈りなのだろう。そして、ライトへの無償の愛情。

レムが美砂を愛するように、美砂がライトを愛するように、総一郎も見返りを求めない愛をライトに注いでいる。ただし、正義感の強い総一郎は、レムや美砂と違い、愛と正義感の間で揺れ動く。

 

最後のレクイエム。

海砂はライトがキラだと気がついていない。大好きな兄が死んで悲しみに、打ちひしがれている。

一方の、総一郎の表情は悲しみに溢れているというよりも、冷たい印象、固い表情をしている。

Lに「息子が犯人なら父親である自分が罰を受けなければならない!ライトはキラではない!」と感情的に叫ぶシーンがあるが、まさに自分がライトの罪に対する罰を背負う覚悟でいるのであろう。ライトが死んでしまった悲しみよりも、ライトが犯した罪の大きさを考えているのかもしれない。それまで築いてきた仕事、正義感の喪失、愛する者の喪失。ライトは父親も殺したのである。                           

退屈な日常こそ、死に至る病

 

 

 

以上、私にはこのようにデスノートのミュージカルが見えた。

他の人にはどう見えたのか、私は知らない。

メタファーだろうと思ったものも、全て私のこじつけで何の意味もないのかもしれない。

そもそも、世の中の全ての物事で絶対的な意味や価値があることなんてあるだろうか?。

意味がないと思えば、何も意味を見出せない。

見ようとしなければ何も見えないし、聞こうとしなければ何も聞こえない。価値がないと思えば何の価値もない。

みんな自分の存在に無理やり意味を、価値をつけて生きているんでしょう。

この文章にも何の価値も意味もない。なぜ書いているか?

全て暇つぶし。

けれども、舞台を見て、セリフや歌を聞いて何かを感じた気になること、意味を考えることはとても楽しい。